今回は、鎌倉宮(かまくらぐう)の紹介です。
鎌倉にある神社で、少し離れていますが、鶴岡八幡宮からも歩いて移動できる場所にあります。
また、七五三詣でも有名な神で、七五三のシーズン(11月)になると多くの家族連れで賑わいます。
鎌倉宮への参拝を計画されている方は、ぜひ当記事もチェックしてください。
鎌倉宮(かまくらぐう)について
鎌倉宮は、後醍醐天皇の皇子の護良親王(もりよししんのう)をお祀りしている神社です。
護良親王の通称「大塔宮(おおとうのみや)」に因んで大塔宮(だいとうのみや)とも呼ばれています。
護良親王の功を称えられて、1869年(明治2年)、明治天皇の命により創建されたのが始まりで、
その数年後には明治天皇自らも鎌倉宮へ行幸されています。
「鎌倉宮」という名称も明治天皇自ら命名されています。
明治に創建というのは、古くからの寺社仏閣が多く立ち並ぶ鎌倉では比較的新しい神社です
ですが、鎌倉駅からも徒歩圏内ということもあり参拝客も多いです。
因みに、護良親王は後醍醐天皇と共に鎌倉幕府を倒しましたが、
足利尊氏と対立して東光寺に幽閉、その後、弟の直義により暗殺されています。
ご祭神
【主祭神】
- 大塔宮(おおとうのみや) ※護良親王(もりながしんのう)
【摂社】
- 南方社:持明院南御方(みなみのおんかた)
- 村上社:贈従三位左馬権頭村上彦四郎義光公
ご利益
鎌倉宮の主なご利益はこちらです。
- 厄除け
- 魔除け
ご由緒
ご由緒はコピペですが、載せておきます。
護良親王(もりながしんのう)は延慶元年(1308年)に後醍醐天皇の皇子としてご誕生になりました。
6歳の時に京都の三千院にお入りになりますが、11歳で比叡山延暦寺に入室し、尊雲法親王(そんうんほっしんのう)と呼ばれ、天台座主となられます。
当時、鎌倉幕府の専横な政治に、父帝の後醍醐天皇は国家の荒廃を憂えられ、親王と共に元弘元年(1331年)6月、比叡山にて討幕の挙兵をする手筈でした。
しかし、この計画は幕府の知るところとなり天皇は捕らえられ、隠岐に配流となります。
親王は還俗して、名を護良(もりなが)と改め、天皇の代わりとなって楠木正成らと、幾多の苦戦にも屈せず機知を持った戦で大群を吉野城や千早城に引きつけました。
この間にも親王の討幕を促した令旨に各地の武士が次々と挙兵し、中でも足利尊氏、赤松則村らが六波羅探題を落とし、また新田義貞が鎌倉に攻め込み、鎌倉幕府は北条一族と共に滅びます。
後醍醐天皇は京都に還御され、親王はこの功により兵部卿・征夷大将軍となられます。
しかし尊氏は征夷大将軍を欲し、諸国の武士へ自らが武家の棟梁であることを誇示した為、親王は尊氏による幕府擁立を危惧し、兵を集めます。
ところが、逆に高氏の奸策に遭い捕らえられ、鎌倉 東光寺の土牢に幽閉されます。建武元年(1334年)の11月15日の事です。
建武2年(1335年)7月23日 残党を集め鎌倉に攻め入った北条時行の軍に破れた尊氏の弟、足利直義は逃れる際に、家臣 淵辺義博へ親王暗殺を命じました。
義博の凶刃に対して、親王は9ヶ月をも幽閉された御身では戦う事も出きず、御年わずか28歳という若さでその苦闘の生涯を薨じられました。
明治2年2月、明治天皇は建武中興に尽くされ、非業の最期を遂げられた護良親王に対して、遥かに想いを馳せられ、親王の御遺志を高く称え、永久に伝えることを強く望まれました。
親王終焉の地、東光寺跡に神社造営のご勅命を発せられて、御自ら宮号を「鎌倉宮」と名づけられました。
なお、明治6年4月16日、明治天皇は初めて鎌倉宮に行幸遊ばされました。
お休みになられた行在所は現在、宝物殿・儀式殿となっております。
参拝
参拝はこちらの大きな鳥居からです。
鳥居の前で一礼して境内に進みます。
それにしても広々した境内です。
境内を進んでいくと、2つ目の鳥居が見えてきます。
この2つ目の鳥居の奥に見えているのが本殿(正確には拝殿)です。
が、その前に手水舎でお清めを行います。
手水舎は左手にあります。
手水舎の側には、亀若丸(かめわかまる)」という亀の形をした岩もありました。
この亀若丸の頭を撫でて折り鶴を持ち帰ると、長寿の象徴「亀と鶴」が揃い、健康長寿のご利益を頂けるとのことです。
※初穂料は100円です。
では、さっそく拝殿に移動してお祈りします。
右斜めからも一枚。
拝殿でお祈りをした後は、向かって右手にある村上社(むらかみしゃ)へも参拝です。
村上社は鎌倉宮境内にある摂社で、村上彦四郎義光公(むらかみひこしろう よしてるこう)をお祀りしています。
村上彦四郎義光公とは、護良親王の身代わりとして自刃した忠臣で、明治に入ってから従三位も贈呈されています。
拝殿の右側には村上彦四郎義光公の木製の像もありました。
この像は、境内にあった樹齢103年の欅(けやき)の大木で掘られたもので、「撫で身代わり」と呼ばれています。
自分の体の悪い部分と同じ場所を撫でる、身代わりとなって病気を引き受けてくれるというご利益があるそうです。
これで参拝は終わりです。
この後は御朱印だけ頂いて帰りました。
こちらは、厄を割ってくれるという陶器のお皿です。※手水舎の前にあります。
右側に「厄割り石」という石があるので、こちらの石に向かってお皿を投げて割ると、
「厄を割る」つまり「厄や災いを払ってくれる」と言われています。
※初穂料は100円です。
鎌倉宮の御朱印
鎌倉宮で頂いた御朱印がこちらです。
鎌倉宮の詳細
参拝時間
社務所:午前9時~午後4時
ホームページ
アクセス
最寄り駅
・JR鎌倉駅東口よりバス京急バス(大塔宮行き)10分 「大塔宮」下車
徒歩の場合、鎌倉駅から20分くらい掛かります。
※「鶴岡八幡宮」へも参拝される場合には、「鶴岡八幡宮」から徒歩で12、13分掛かります。
地図
〒248-0002 神奈川県鎌倉市二階堂154