品川神社~品川宿のパワースポット「富士塚」と金運アップの「一粒萬倍の泉」へ

品川神社~品川宿のパワースポット「富士塚」と金運アップの「一粒萬倍の泉」へ

品川神社(しながわじんじゃ)について

品川神社は、東海道五十三次の中で1番目の宿場「品川宿」にある神社で、東京十社の1つとしても有名です。
また、同じ地区内にある荏原神社(えばらじんじゃ)が「南の天王社」と称されるのに対して、品川神社は「北の天王社」とも称されます。

創建は1187年(文治三年)と古く、源頼朝天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)をお迎えして、海上交通安全と祈願成就をお祈りされたのが始まりとされています。

天比理乃咩命の他に、ご祭神として宇賀之売命(うがのめのみこと)素盞嗚尊(すさのおのみこと)もお祀りされています。
※宇賀之売命は二階堂道蘊により、素盞嗚尊は太田道灌により当神社へ勧請されました。

徳川家康が関ヶ原合戦の出陣前に戦勝祈願の為に参拝したことでも有名で、
勝利の後、仮面(天下一嘗の面)と神輿(葵神輿)などを奉納されました。

さらに、都内でも最大級の富士塚(ふじづか)金運アップのパワースポット「一粒萬倍の泉(いちりゅうまんばいのいずみ)」もとても有名です。

京浜急行「新馬場駅」が最寄駅ですが、頑張れば「品川駅」からも歩いて行けます。
興味のある方は、ぜひ一度参拝してみてはいかがでしょうか。

御祭神

・天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)
・宇賀之売命(うがのめのみこと)
・素盞嗚尊(すさのおのみこと)

ご利益

・天比理乃咩命:祈願成就、航海安全
・宇賀之売命:五穀豊穣、商売繁盛、衣食住の神
・素盞嗚尊:風水害除け、厄除け、病気除け

境内参拝

参拝

入り口の鳥居「双龍鳥居」

新馬場駅から1分くらい歩けば、神社の入り口にある鳥居と社標が見えてきます。
入口の鳥居「双龍鳥居」

入り口には、大黒天様もいらっしゃいます。
大黒天様

また、この入り口にある鳥居は双龍鳥居と言い、
左側には登り龍、右側には降り竜が巻き付いた珍しい神社です。

双龍鳥居
都内には品川神社と馬橋稲荷神社宿鳳山高円寺境内の稲荷社の3か所にしかないそうです。

この鳥居の奥にある急な階段を上れば、神社の拝殿が見えてきます。
階段の途中に富士塚への入り口がありますが、まずは拝殿にお参りしてから向かいましょう。

階段を上って少し進むと狛犬様もいらっしゃいました。
狛犬様

狛犬様

狛犬様の前を通って少し進むと、もう二つ目の鳥居があります。
階段上って直ぐの鳥居

この鳥居をくぐって社殿へお参りしますが、その前に手水舎で手を清めて下さい。
手水舎

で、手水舎で手を清めた後は、早速拝殿に向かいお参りします。

こちらが拝殿です。
品川神社

拝殿にお参りしたあとは、境内を散策してみました。

神楽殿です。

神楽殿

拝殿に向かって右側にあるのが祖霊社(それいしゃ)です。

祖霊社
左側には、大砲の砲弾のようなものも置いてあります。

祖霊社の後は、阿那稲荷神社(あないなりじんじゃ)へもお参りしました。

阿那稲荷神社へは、本殿の隣にある赤い鳥居をくぐってお参りします。
阿那稲荷神社への鳥居
この朱色の鳥居がお稲荷様っぽいですね。

阿那稲荷神社には上社下社があり、まずは上社にお参りです。

こちらが上社です。
上社は天の恵みの霊を祀られています。
阿那稲荷神社 上社

さらに、鳥居をくぐって下っていくと下社があります。
阿那稲荷神社の朱色の鳥居

こちらが下社です。
下社は地の恵みの霊御霊水を祀られています。
阿那稲荷神社 下社

中に入ると、八百萬神社大國主恵比須神社天王白龍辨財天社稲荷大神一粒萬倍の泉があります。

八百萬神社、大國主恵比須神社、天王白龍辨財天社です。
八百萬神社、大國主恵比須神社、天王白龍辨財天社

稲荷大神です。
稲荷大神

一粒萬倍の泉(いちりゅうまんばいのいずみ)です。

一粒萬倍の泉

一粒萬倍の泉では、家紋や家業の繁栄を祈りながら印鑑お金に御霊水を注ぎます
一粒萬倍の泉
私は、せっかくなので500円玉に御霊水を注いで財布にしまいました。
御霊水を注いだお金の一部は門前の商店街北品川の商店街で使用するのがいいらしいです。

また、こちらの水は持ち帰ってもいいそうです。
持ち帰りたい方はペットボトルを持ってお参りに行きましょう。

阿那稲荷神社へお参りした後は、御嶽神社へお参りです。

御嶽社の鳥居

御嶽社

富士浅間神社へお参りです。

富士浅間神社は、富士塚の裏側にあります。
富士浅間神社

ぶじかえる

富士浅間神社の直ぐ側には、「ぶじかえる」もいらっしゃいます。
「無事帰る」と掛けて、交通旅行安全守護神となるみたいです。
ぶじかえる

この後は、再び階段にある富士塚の入り口に戻り、いよいよ富士山頂への登山です!

富士塚

富士塚の登山を開始です。

富士塚への入り口はこちらの鳥居からです。
富士塚への入り口

鳥居をくぐったところには、猿田彦神がいらっしゃいます。
猿田彦神

さらに登山を続けます。
富士塚の登山道

二合目辺りには、役行者(えんのぎょうじゃ)もいらっしゃいます。
役行者

富士登山
結構急な斜面になっていて、高所が苦手な私は、少しビビりながらの登山です。

富士塚からの眺めです

富士塚からの眺め

富士塚の説明

ここ富士塚は、富士山の遥拝所として作られた築山で、本物の富士山の溶岩が使用されているそうです。

板垣退助の墓

こちらの神社の裏手には、板垣退助のお墓があります。
板垣退助の墓

板垣死すとも自由は死せず
「板垣死すとも自由は死せず」と彫られています。
板垣退助が暴漢に襲われた時に言ったという有名な名言ですね!

御朱印

品川神社の御朱印

ご由緒

ご由緒はコピペですが、載せておきます。

今からおよそ800年程前の平安時代末期の文治3年(1187)に、源頼朝公が安房国の洲崎明神(現・千葉県館山市鎮座 洲崎神社)の天比理乃咩命を当地にお迎えして海上交通安全と祈願成就を祈られたのを創始とします。

やがて、鎌倉時代末期の元応元年(1319)に二階堂道蘊公が「宇賀之売命(お稲荷様)」を、さらに室町時代中期の文明10年(1478)に太田道灌公が「素盞嗚尊(天王様)」をそれぞれお祀りしました。

慶長5年(1600)、徳川家康公が関ヶ原の戦いへ出陣の際に当社へ参拝し戦勝を祈願され、その後、祈願成就の御礼として仮面(天下一嘗の面)・神輿(葵神輿)などを奉納されました。

また、寛永14年(1637)三代将軍徳川家光公により東海寺が建立され当社がその鎮守と定められ、「御修覆所(神社の建物の再建・修復などは全て幕府が賄う)」となり、元禄7年(1694)・嘉永3年(1850)の二度の社殿の焼失の際には時の将軍の命により再建が行われる等、徳川将軍家の庇護を受けました。

時代は明治に移り、同元年(1868)11月には明治天皇様が新都・東京の安寧と国家の繁栄を御祈願されるために、当社を含んだ都内の十の神社を「准勅祭神社」と定められ、御勅使が御参拝になられ御祈願をされました。

大東亜戦争の折は、当社は幸いにして戦火を免れましたが、社殿の老朽化が進み、昭和39年(1964)氏子各位の御協力により現在の社殿が再建されました。

参拝時間

境内自由
社務所:9:00~17:00

アクセス

最寄り駅

京浜急行「新馬場駅」北口より徒歩1分
「品川駅」からも徒歩で移動できますが、20分程掛かります。

地図

〒113-0031 東京都品川区北品川3-7-15

金運アップカテゴリの最新記事