【新大久保】皆中稲荷神社の皆中(みなあたる)パワーで宝くじの当選確率アップ

【新大久保】皆中稲荷神社の皆中(みなあたる)パワーで宝くじの当選確率アップ

【新大久保】皆中稲荷神社(かいちゅういなりじんじゃ)について

新宿区百人町といえば、
皆中「みなあたる」として有名な皆中稲荷神社(かいちゅういなりじんじゃ)です。
創建は1533年なので、500年弱くらいの歴史の神社です。

JR新大久保駅から歩いて数分の場所に鎮座されており、人通りの多い繁華街の中にあります。
また、お参りすることで「宝くじが当たる」と言われている為に、
そのご利益を求めて、多くの方がひっきりなしに参拝されています。

さらに、皆中「みなあたる」というご利益から、
ギャンブル運アップ合格祈願勝ち運アップなど、様々なご利益を頂くことが出来ると言われています。

あとは、
人気のアイドルや歌手のコンサートチケットの抽選を控えている方にも、
チケットに当たるというご利益を得られるので、おすすめの神社です。

人気の授与品は、的中御守(500円)宝くじ入れ(800円)です。
特に、宝くじ入れは人気で売り切れていることもあるそうなので
お参りした時においてあれば、必ず頂くべきです。

御祭神

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

ご利益

皆中を「みなあたる」とも読めることから、「当たる」ということに関係するご利益があるそうです。

例えば、
宝くじが当たるチケットに当たる勝運アップあとは、ギャンブル(賭け事)運アップのご利益を求めて参拝される方が多いです。

また、江戸時代に幕府から派遣され百人町に駐屯していた「鉄砲組百人隊」とのかかわりも深く、
稲荷大神が隊士の夢枕に立って以来、隊士の射撃の腕前が百発百中に上がったという逸話から、百発百中のご利益を頂ける神社としても有名になりました。

その他にも、ご祭神 宇迦之御魂神のご神徳から、
五穀豊穣商売繁盛などのご利益も考えられますね。

あとは、
・開運招福
・合格祈願
などのご利益も頂けるそうです。

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境内の参拝ルート

お参りはこちらからです。
鳥居と社号標
※隣に交番があるので、それを目印に大通りを沿って歩いていると直ぐに見つかります。

鳥居の前で一礼してから進んで行くと、手水舎があります。
皆中稲荷神社の手水舎
お参りの前には、必ず手水舎でお清めを行って下さい。

参道には、狛犬様もいらっしゃいます。
右側の狛犬様

左側の狛犬様

稲荷神社のお使いのお狐様もいらっしゃいます。
左側のお狐様

右側のお狐様

それでは、さっそく拝殿に向かってお参りします。

参拝の様子
こちらの神社は、いつ参拝に来ても参拝客が多いです。
自分の順番が来るのを待って、二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)でお参りしました。

一瞬、参拝客が途切れた瞬間に撮った一枚です。
皆中稲荷神社の拝殿(本殿)

右側からも一枚。
拝殿(本殿)右側からの写真

境内には、手水舎の奥に末社も4社ありました。
弁財天社、三峯神社、開運稲荷神社、御嶽神社の4社です。

こちらの4社へもお参りします。

【弁財天社】
【末社】弁財天社
商売繁盛の神として祀られています。

弁財天とは、ヒンドゥー教の女神ですが、日本においては、宗像三女神の一柱 市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同じ神様と考えられています。

【三峯神社(みつみねじんじゃ)】
【末社】三峯神社
三峯神社と言えば、関東では秩父市にある三峯神社が有名ですが、
こちらの神社にも境内社として祀られていました。

【開運稲荷神社】
【末社】開運稲荷神社
名前からして、ご利益は開運ですかね!?
だとすると、運が開けるようにこちらの神社へも必ずお参りしておきましょう!

【御嶽神社】
【末社】御嶽神社
御嶽神社は蔵王権現(ざおうごんげん)をお祀りしている神社ですね。

これで、参拝は終了です。
この後は、社務所で御朱印を頂こうと思ったのですが。。。

御朱印と授与品

御朱印

こちらの神社では、現在、御朱印を中止されています。
確認してみたのですが、再開の予定はないそうです。

書置きでの御朱印や御朱印帳の取り扱いも行われていません。

的中御守 と 宝くじ入れ

人気の授与品「的中御守(500円)」と「宝くじ入れ(800円)」も頂きました。
「宝くじ入れ」と「的中御守」

当然、「宝くじ入れ」には、宝くじも入れて大事に保管しています。
宝くじ入れ

ご由緒

ご由緒はコピペですが、載せておきます。

天文二年(1533)九月二十七日稲荷之大神を神社に奉斎。
以来此の地の総社として鎮祭、新宿の発展と共に重要なる地位を与えられ由緒ある歴史をもつ神社として篤く信仰されております。

寛永年間、徳川幕府が「鉄砲組百人隊」を(現在の新宿区百人町)に駐屯させてより「鉄砲組百人隊」は旗本や上下の士に篤く信仰され、また町名も百人町と名づけられました。(百人町の由来)

当時、鉄砲組与力が射撃の研究に精魂を傾けておりましたが、なかなか思うに任せず、一夜煩悶のまま眠りに落ち入りましたところ、稲荷之大神が夢枕に立たれ霊符を示されました。

翌朝不可解なまま社頭にお参りを済ませ、大矢場にて射撃を試みたところ百発百中、全て的中、見事な進境に驚いたとのことであります。

これを目のあたりに見た旗本の士が競って霊符を受け射撃をしたところ、みな百発百中的中したと伝われます。

この話しが、近郷近在に伝わり、唯射撃のみでなく様々な願い事をする参詣者が日増しに多くなり、不思議な神託霊夢など幾多の霊験あらたかなものがあり、世人はこの神社を「皆中(みなあたる)の稲荷」と称えるようになり、それ以後「皆中稲荷神社」と云う名で呼ばれるようになりました。

【江戸幕府】鉄炮組百人隊<新宿区無形民俗文化財>
我国に鉄炮が伝来したのは、室町時代の天文十二年(一五四三)皆中稲荷神社が奉斎されてより十年後であります。
徳川家康が関が原の戦い(一六〇〇)で戦勝を収めたのは鉄炮の使用による所が多く、鉄炮組は天正十八年の家康が江戸入国の際、内藤修理亮及び青山常陸介に率いられ、鉄炮王薬同心(弾薬製造)と共に先陣を勤めています。
家康の江戸入国当時、鉄炮組並びに王薬同心は四谷あたりから東西大久保、諏訪、戸塚等に陣屋を構えて駐屯しましたが、寛永十年(一六三三)江戸城整備と共に城下の整理も進められて、軍制も統一されてきてこの鉄炮組も幕府の直轄として一定の禄高と地所屋敷が与えられ駐屯から定住にかわりました。

【鉄炮組と大久保つつじ】
大久保百人町のつつじは有史以来、この辺り一帯の山谷に自生していたものであるが、鉄炮組が駐屯布陣した後定住に変わったので屋敷内に余暇を利用して栽培した。
江戸中、末期には、つつじの名所として江戸名所図会、遊暦雑記等に広く江戸中に宣伝され、又末期には錦絵等によりその素晴らしさが伝えられ大変有名になった
また、明治天皇が観賞に訪れて、その賑わいを歌に詠まれた歌碑も皆中稲荷神社内に建立されています。

参拝時間

参拝:24時間可
お守り:9:00~17:00

ホームページ

http://kaichuinari-jinja.or.jp/

アクセス

最寄り駅

JR山手線「新大久保駅」より徒歩1分
JR中央線「大久保駅」より徒歩2分

地図

〒169-0073 東京都新宿区百人町1-11-16

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