宮崎県高千穂市に鎮座されている槵觸神社(くしふるじんじゃ)の紹介です。
高千穂でも有名な神社の一つで、人気のパワースポットにもなっています。
槵觸神社への参拝を計画されている方は、当記事もチェックしてください。
槵觸神社(くしふるじんじゃ)について
槵觸神社とは槵触峯の中腹にあり、槵觸山をご神体とする高千穂でも有名な神社の一つです。
※槵触峯は、天孫降臨の地とも伝えられている、とても神聖なスポットです。
神社の創建年は不明ですが、社殿は1694年(元禄7年)に、高千穂神社の宮司が建立を仰いだことが始まりとされています。
神社周辺には、神々が高天原(たかまがはら)を遥拝したという高天原遥拝や高天原を起源とする天真名井(あまのまない)などもあり、
多くのパワーを頂ける神社となっています。
ご祭神
【主祭神】
- 天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほほににぎのみこと)
【相殿神】
- 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
- 経津主命(ふつぬしのみこと)
- 天太玉命(あめのふとたまのみこと)
- 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
ご利益
- 諸願成就
ご由緒
コピペですが、ご由緒も載せておきます。
槵觸神社の創祀は不詳ですが、鎮座する槵觸峯は、古事記に「筑紫の日向の高千穂の久志布流多氣に天降りまさしめき」、日本書紀の一書に「日向の高千穂の槵觸峯に到します」と記される天孫瓊々杵尊の天降りの地です。その信仰は、上代にまで遡るとされ、瓊々杵尊をはじめ降臨に随行された神々や国譲りで活躍された神々がお祀りされています。往昔は社殿はなく、峯そのものを神と崇め、高千穂八十八社の一社に数えられお祀りされていました。古くは「槵觸大明神」とも称され、山岳信仰の名残を留めた神社でもあります。
その創建の由来からして、槵觸峯は高千穂宮縁由の聖地であり、高千穂宮は高千穂皇神の神号の淵源と考えられています。また、槵觸神社の社殿が高千穂神社の分祠として建立された事跡から、両社は一体不離の関係にあり、ともに天孫降臨の聖地高千穂を代表する重要な神社として崇敬を集めています。
元禄時代、延岡城主三浦直次の家臣、岡田定賢の著した『串振記』には、「ここに槵觸大明神の来歴を稽ふるに、日向国高千穂二上槵觸嶽は日本秋津州神道流布根源の地なり」、「天児屋根命即ち槵觸大明神の御事、春日大明神と同一体の御神なり」と書き記されています。そのことから、創建当時の祭神は天児屋根命を槵觸大明神として祀り、天孫降臨の地として久志布流多氣を日本神道発祥の地として理解して、神官職の宗源神ともいうべき天児屋根命を主神として祀ったと考えられています。
元禄元年(1688)に延岡藩主の有馬清純が社殿建築を許可しましたが、清純公は元禄5年に越前藩の糸魚川へ転封となり、着手にまで至りませんでした。次の延岡藩主の三浦壱岐守明敬の時、当時は十社宮と称されていた高千穂神社の大宮司の田尻乗信をはじめ、往古の聖跡を慕う歴代延岡藩主の熱望と高千穂十八郷の民力により社殿が造営され、遷宮されました。歴代藩主はそれぞれ社領を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及び、その後、宝暦14年(1764)、安永4年(1775)等に修復されています。
明治期には、国史見在社の「高智保皇神」に比定されたため、明治6年5月25日、旧称の槵觸大明神から二上神社と改称されて県社に列します。明治40年2月には神饌幣帛料供進神社となり、明治43年11月19日には旧社名に復して、槵觸神社と改められました。築後300年を経て、昭和46年より、拝殿・本殿の屋根吹き替えなどを行い、参道入口の大鳥居は昭和59年4月に竣工落成しています。
古来、武神としての信仰が厚く、日本秋津州神道流布根源の地として広く信仰され、高千穂神社の春の祀りの対となる10月の体育の日に行われる例大祭では、年占の意味を込めた神事相撲が奉納されています。
本殿は、棟に千木・鰹木を置く三間社流造銅板葺。本殿両袖周囲には昇り龍、下り龍をはじめ支那二十四孝の代表的な15の彫刻が施されています。平成2年(1990年)には高千穂町の有形文化財に指定されています。
槵觸神社の鎮座する槵觸峯には、天孫降臨後、八百万の神々が集まり高天原を遥拝した場所であると伝えられる高天原遥拝所。そして、神武天皇とその皇兄弟、五瀬命、稲氷命、三毛入野命の四柱の降誕地で、神功皇后が三韓征伐に際して、7日7夜の戦捷を祈願した場所であるとされる四皇子峰も奉斎されています。参拝所の西隅に昭和9年に建立された皇紀2600年(1940)の記念碑があります。また、県南の高原町にも四皇子誕生の地として皇子原があり、狭野神社の摂社として祀られています。
山麓には、樹齢約三千年とも云われるケヤキの神木に囲まれた天真名井があり、その下を神代川が流れています。天真名井は、天孫降臨に際して当地に水が無かったため、天村雲命が高天原に戻り、天真名井から汲んできた水を移したもので、「三田井」の地名の元である3つの井の1つであると伝えられています。また、湧出する井水は不増不減の神水として信仰され、高千穂・槵觸両神社の春秋の例祭では、御旅所として神輿が安置され、神楽が奉納されています。
また、天真名井の前の神代川の対岸には、木花開耶姫命が出産に際して、あまりの難産に堪えられずに抱きついた石であるとも、豊玉姫命と玉依姫命のお産に因む石とも伝えられる夜泣き石が祀られています。この石に触れると乳幼児の夜泣きが止むとされたため、子供を抱いた若嫁の姿がよく見かけられたともされ、夜にうごめいて村の厄災を知らせたこともあったとされています。
槵觸神社への参拝
槵觸神社への参拝はこちらの大きな鳥居からです。
鳥居の前で一礼して奥に進んで行きます。
少し進むと左手に手水舎があるので、そこでお清めを行います。
お清めが終わると、拝殿へ向かいます。
↓
拝殿はこちらの長い階段を上っていきます。
角度も結構あるので、上から見るとこのような感じで少し怖いです。
拝殿は階段を上って直ぐの場所にあります。
その為、拝殿までの距離が短く写真を撮るのが難しかったです。
角度を変えて右側からも一枚。
こちらがご本殿になります。
↓
因みに、神社周辺は神話史跡コースとして遊歩道が整備されているので、
お時間のある方は一回りして下さい。
高天原遥拝所もあります。
天孫降臨のあと、神々が高天原を遥拝されたと伝えられる場所で、より多くのパワーを頂くことが出来ます。
高天原を起源とする天真名井(あまのまない)
槵觸神社の境内から少し離れた場所には天真名井という神聖な井戸があります。
※槵觸神社から徒歩で移動できる距離です
ご祭神は、天村雲命(あめのむらくものみこと)です。
樹齢1300年ともいわれる大きなけやきの根に囲まれていて、
とても綺麗な水が湧いています。
瓊瓊杵尊が天孫降臨した時、当地には良い水源がありませんでした。
そこで、天村雲命が高天原に戻り、そして水源の種を持ち帰った場所が天真名井と言われています。
今も湧き水が湧き続けているそうです。
槵觸神社の御朱印
槵觸神社の境内には誰もいませんが、御朱印は拝殿に置いてあったので、そちらで頂くことが出来ました。
ただ、高千穂神社に行けば、御朱印帳に書いて頂くことも出来ます。
こちらが高千穂神社で頂いた槵觸神社の御朱印です。
槵觸神社の詳細
ホームページ
なし
アクセス
最寄り駅
高千穂バスセンターから徒歩15分
地図
〒882-1101 宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井713