王子神社~徳川家からも愛された「東京の北方守護」です

王子神社~徳川家からも愛された「東京の北方守護」です

【北区】王子神社(おうじじんじゃ)について

東京十社にも数えられる由緒ある神社で、
東京の北方守護として、この地に鎮座されています。

御神徳は「開運除災」「子育大願」で、
創建された年は定かではないようですが、源義家が奥州征伐の際に王子神社で慰霊祈願を行ったと伝えられていることから、
かなり歴史のある神社だと思われます。

戦国時代には、北条氏から信仰されていたそうですが、
江戸時代に入ってからは、徳川家からも厚く信仰されるようになったそうです。

それで、徳川家康が社領200石を寄進してからは、「王子権現」の名称で呼ばれるようになったようです。
※現在の「王子神社」という名称になったのは、明治新の神仏分離令以降です。

さらに、八代将軍・吉宗公が寄進した飛鳥山は、当時、桜の名所として江戸庶民の遊楽地にもなっていたようです。
※飛鳥山は、現在でも桜の名所として有名ですが、ツツジやアジサイの名所としても有名です。

境内にある末社は、関神社の一社のみですが、
関神社は「髪」に関するご利益があると言われている珍しい神社です。
王子神社に参拝に行かれる際には、ぜひ一緒にお参りされることをおすすめします。

あと、境内には大きなイチョウの木もあり、有名なパワースポットにもなっています。

また、直ぐ隣にある音無親水公園は、多くの緑に囲まれていて、静かで癒しスポットにもなっています。
参拝の後は、神社周辺を散策されることもおすすめします。

御祭神

御祭神は、
・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
・伊邪那美命(いざなみのみこと)
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)
・速玉之男命(はやたまのおのみこと)
・事解之男命(ことさかのおのみこと)
五柱です。

総称して「王子大神」とお呼びします。

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境内

今回は、JRの王子駅から向かいました。

駅を出て明治通りをしばらく歩くと、「音無橋」が見えてくるので、橋を渡ってさらに進むと、
神社の社標と鳥居が見えてきます。

社標と鳥居

王子神社の入り口

鳥居

鳥居をくぐって少し進むと、右手に手水舎があるので、そちらで手のお清めを行います。

手水舎

手水舎

お清めのあとは、早速、社殿にお参りです。

社殿

社殿

狛犬

こちらは、社殿の前にいらっしゃる狛犬様です。

狛犬

狛犬

お参りが終わった後は、境内にある関神社へもお参りします。

【末社】関神社

関神社
御祭神は、蝉丸公(せみまるこう)逆髪姫(さかがみのひめ)古屋美女(ふるやのびじょ)で、髪の毛にご利益があると言われています。

蝉丸公は日本で初めて「かつら」を考案した人物で、「髪」の祖神とも言われているそうです。
その為、薄毛で悩まれている方や理容業界(美容師さんや理容師さんなど)などが多く参拝されます。

おかげさまで私は薄毛ではないのですが、将来、ハゲると嫌なので、私もしっかりとお祈りしておきました。

このあとは、御朱印を頂いてから、最後に、境内にあるパワースポット「イチョウの木」を見に行きました。

【東京都指定天然記念物】王子神社のイチョウ

王子神社のパワースポットとして知られているのが、
東京都の天然記念物にも指定されているこのイチョウの木です。
王子神社の大イチョウ
境内からは分かりにくい場所にありますが、
樹齢600年とも言われているらしく、とても立派なイチョウの木なので、
ぜひ訪れてパワーを貰いましょう。

神社周辺

神社周辺も、少しだけ散策してみました。

音無親水公園

神社のすぐ側には、都市公園100選にも選出されている音無親水公園があります。
お参りの後は、緑豊かな公園を散策するのも楽しみの一つです。
都市公園100選

音無親水公園

御朱印

王子神社の御朱印

ご由緒

王子神社の由来

ご由緒はコピペですが、載せておきます。

御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱で、総称して「王子大神」とお呼び申し上げます。紀州(和歌山県)熊野三社権現(本宮・那智・新宮)の御子神さまの呼称で、世界遺産にも登録された熊野古道には多くの王子神が祀られていたといわれます。
創建は詳らかではありませんが、源義家の奥州征伐の折、当社の社頭にて慰霊祈願を行い、甲冑を納めた故事も伝えられ、古くから聖地として崇められていたと思われます。その後、元亨2年(1322年)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして、改めて「若一王子宮」と奉斉し、熊野にならって景観を整えたといわれます。それよりこの地は王子という地名となり、神社下を流れる石神井川もこの付近では特に音無川と呼ばれています。
戦国時代、当地の領主となった小田原北条氏も当社を篤く崇敬し、朱印状を寄せて社領を安堵しております。
徳川時代に入ると初代家康公は天正19年(1591年)、朱印地二百石を寄進し、将軍家祈願所と定めました。二百石は当時としては広大な社領で、それより代々将軍の崇敬篤く、「王子権現」の名称で江戸名所の1つとなります。
三代家光公は寛永11年(1634年)、新たに社殿を造営、林羅山に命じて縁起絵巻「若一王子縁起」三巻を作らせて当社に寄進しました。その後も五代綱吉公が元禄16年(1703年)、十代家治公が天明2年(1782年)、十一代家斉公が文政3年(1820年)と造営修繕された社殿は秀麗な権現造りで、境内には神門、舞殿などをそなえ、摂末社も17社を数えていました。
特に八代吉宗公は紀州徳川家の出自で、この地に紀州ゆかりの当社があることを大いに喜び、元文2年(1737年)に飛鳥山を寄進、桜を多く植えて江戸庶民遊楽の地としました。これが今に残る花の飛鳥山(現 飛鳥山公園)の基となったもので、現在も桜の季節には多くの花見客で賑わっています。
明治元年、明治天皇は新たに首都となった東京を守護し、万民の安寧を祈るため、准勅祭社を定めました。当社もこの東京十社に選ばれ、以来、東京の北方守護として鎮座しております。
戦前は「太田道灌雨宿りの椎」と伝えられる巨木を始め、多くの樹木が茂り、勝海舟も修行したと伝えられますが、戦災で東京都指定天然記念物の大イチョウを残し、ほとんどを焼失したことは誠に残念なことです。
戦後は氏子一同、復興に努め、昭和39年の第一期、昭和57年の第二期造営を経て、黒塗りと金箔をほどこした壮大な権現造りとして社殿を再建、境内を整えて現在の景観となっております。

参拝時間

社務所受付:9時~17時
御祈願受付:9時30分~16時30分

ホームページ

http://ojijinja.tokyo.jp/

アクセス

最寄り駅

[JR]
京浜東北線「王子駅」北口より徒歩3分

[東京メトロ]
南北線「王子駅」3番出口より徒歩3分

[都電]
都電荒川線「王子駅」より徒歩5分/「飛鳥山駅」より徒歩7分

地図

〒114-0022 東京都北区王子本町1-1-12

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または、

アクセス:http://ojijinja.tokyo.jp/access/

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