【福知山市】皇大神社(元伊勢内宮)~元伊勢三社参り

【福知山市】皇大神社(元伊勢内宮)~元伊勢三社参り

【福知山】皇大神社(こうたいじんじゃ)について

福知山元伊勢三社の一社 皇大神社の紹介です。
※皇大神社(元伊勢内宮)、豊受大神社(元伊勢外宮)天岩戸神社を総称して元伊勢三社と呼びます。

福知山の大江地方にご鎮座されており、
全国的な知名度はさほど高くないですが、京都府内でも有数のパワースポットで、多くの方が参拝に訪れる神社です。

正式名称は元伊勢内宮皇大神社といい、地元では、元伊勢さんとして親しまれているようです。

この名前についている「元伊勢って何?」と思われる方も多いと思いますが、
元伊勢というのは、伊勢神宮が今の場所(三重)に落ち着く前に、一時的に置かれていた神社のことを指し、
それらを総称して元伊勢神宮と言います。

皇大神社も、その元伊勢神宮の一つになります。

皇大神社は、元伊勢神宮の中でも最初に着座されたとされる神社で、歴史も古く、創建は崇神天皇39年ととても古いです。
崇神天皇39年と言われてもピンときませんが、紀元前59年に該当するようです。

境内はとても広く、摂社が2社、末社が83社あります。
その他にも、「真名井の池」や「麻呂子親王手植の杉」、ご神木の「龍灯の杉」などもあり、パワースポットと呼ばれる場所が非常に多い神社です。

御祭神

・天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

ご利益

・商売繁盛
・縁結び
・家内安全
など

境内

鳥居と参道

神社の入り口にある社号標です。
社号標と参道
参拝は、こちらから行います。

社号標の右側には、秋葉神社の燈籠もあります。
秋葉神社の燈籠

こちらは、参道の入り口付近にある鳥居です。
皇大神社の鳥居
それ程大きくはないですが、石造りの鳥居です。
神明鳥居とよばれるシンプルな形をした鳥居で、その奥に続く参道への入り口になります。

鳥居をくぐり参道へと足を進めると、空気感が変わるのが分かります。
皇大神社の参道
何か神聖なものによる空気なのか、もしくは、参道より奥は木々で覆われていて周辺よりも気温が低いだけか、
はたまた、単純に私の気のせい?かは分かりませんが、ひんやりとした空気に代わるのを誰もが感じることができると思います。

こちらは、参道の途中にある真名井の池です。
真名井の池
こちらの水は湧水との情報もありましたが、どうも伏流水のようです。

【伏流水(ふくりゅうすい)】
河川敷や山麓の下層のような比較的浅い場所を流れている地下水。
水質もよくて、生活水にも使われる。

【湧水(わきみず)】
地下にしみこんだ地下水が地表に湧き出た水。
飲料可能な場合が多く、名水として知られている湧水が全国に存在する。

こちらも、参道の途中にある麻呂子親王手植の杉です。
麻呂子親王手植えの杉
参道の真ん中に大きくそびえ立つ杉の木で、元々は3本杉だったらしいですが、現在残っているのは1本のみです。

丹後の大江山に鬼退治の為に派遣された麻呂子親王が自ら植えた杉と言い伝えられています。
麻呂子親王とは、用明天皇の第三皇子で、聖徳太子の異母弟にあたる人物です。

さらに進むと手水舎があるので、こちらでお清めを行います。
皇大神社の手水舎

で、お清めが終われば、さっそく本殿へ参拝です。

本殿

参道の階段を登ると見えてくるのが、本殿前の鳥居です。
本殿前の鳥居
こちらは黒木鳥居と呼ばれ、皮が付いたままの木を使って作られている非常に珍しい鳥居とのことです。
全国でも、京都の嵐山にある野宮神社とこの皇大神社の2社にしかない鳥居だそうです。

こちらが、本殿(正確には拝殿)です。
皇大神社の本殿(拝殿)
神社の敷地の広さの割には、こじんまりとした小さめの本殿です。
が、趣があって、きっちりと手入れている綺麗な外観でした。

本殿の左手には御神木「龍灯の杉」もあります。
皇大神社の御神木
樹齢二千年くの大木で、近くで見ると、とても迫力のある杉の木です。

幹の手前に「節分の深夜、龍が灯を献ずると言い伝えられている。」と説明書きもありました。
この言い伝えが「龍灯の杉」という名前の由来になっているのだと思います。

こちらの神社には、摂社2社と多数の末社があります。

摂社・末社

【摂社 栲機千千姫神社と天手力雄神社】

本殿に向かって左側に鎮座されているのが摂社「栲機千千姫神社(たくはたちぢひめじんじゃ)」です。
栲機千千姫神社(栲機千々姫神社)
栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)は、天照大神の子である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)のお后(きさき)で、機織りの女神として信仰されています。

本殿の右側には摂社「天手力雄神社(あめのたぢからをじんじゃ)」も鎮座されています。
天手力雄神社(天手力雄命社)
天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)は、天照大神が天岩戸に引きこもった「岩戸隠れ」という神話に出てくる神様で、天岩戸から天照大神を引っ張り出すという重要な役割を担われた神様です。

ご利益は、技芸上達スポーツ上達などが有名な神様です。

【80社以上の末社】

皇大神社には、本殿を取り囲むようにして80社以上の末社があります。

全てを紹介するのは大変なので、主な末社についてだけ紹介しておきます。

まず、三女神社です。
三女神社
宗像三女神と呼ばれる田心姫神(タゴリヒメ)湍津姫神(タギツヒメ)市杵島姫神(イチキシマヒメ)の3女神様をお祀りしています。

熊野神社もありました。
熊野神社

末社は83社あり、数が多すぎて全ての写真を撮るのは難しいですが、こんな感じです。
皇大神社の末社

皇大神社の末社

岩長姫命社と天龍八岐龍神社

境内には、岩長姫命社天龍八岐龍神社もあります。

【岩長姫命社】

岩長姫命社(いわながひめのみことしゃ)です。
岩長姫神社(磐長姫神社)
岩長姫命と呼ばれる女神をお祀りされています。

岩長姫とは、絶世の美女と謳われた木花開耶姫(このはなさくやひめ)の姉に当たる神様です。
木花開耶姫とセットで瓊々杵尊(ににぎのみこと)の元に嫁入りさせられたのですが、
岩長姫だけ「容姿が醜い」という理由だけで送り返されたという悲しい逸話をお持ちです。

岩長姫命のご利益は、延命長寿縁切り、あと縁結びなどが有名です。

因みに、こちらは「天皇神道」という別の団体が管理されているそうで、同じ境内にありますが、皇大神社とは別の団体が管理されています。
入り口にある神明鳥居の近くに「天皇神道」の社務所があるので、そちらで御朱印もいただけるそうです。
私が参拝した時には、社務所も閉まっていましたが。

【天龍八岐龍神社】

こちらは、強力なパワースポットとして有名な天龍八岐龍神社です。
天龍八岐大龍神社

天龍八岐大龍神社
八岐大龍神(やちまたのだいりゅうじん)をお祀りされています。

【和泉式部歌塚とヘソ塚】

岩長姫神社の前には、和泉式部歌塚ヘソ塚もあります。
 和泉式部歌塚とヘソ塚

日室ヶ嶽遥拝所

この後は皇大神社の境内から歩いて天岩戸神社へ向かいしましたが、その途中、日室ヶ嶽遥拝所(ひむろがたけようはいじょ)もあります。
日室ケ嶽(日室岳)遥拝所
皇大神社は日室ヶ嶽(ひむろがたけ)をご神体とされています。
遥拝所とは遠くからでも参拝できる場所のことで、こちらから日室ヶ嶽へお祈りすることが出来ます。

一願成就のスポットにもなっているので、こちらへも忘れずにお立ち寄りください。

御朱印

皇大神社の御朱印

ご由緒

ご由緒はコピペですが、載せておきます。

『倭姫命世記』に、崇神天皇39年、天照太神を奉じた豊鋤入姫命が鎮座地を求めて但波(丹波)国へ遷幸し、吉佐宮を築いて4年間奉斎したと記すが、社伝によれば、当神社はその旧跡であり、天照大神が吉佐宮から遷座した後もその神徳を慕った人々が引き続き伊勢神宮内宮の元の宮として崇敬してきたといい、元明天皇朝(707 – 15年)に社殿を建立したという。また、それとは別に、用明天皇の皇子麻呂子親王が当地の兇賊を成敗するに際して勧請したものであるとの異伝もある(宝暦11年(1761年)の『丹後州宮津府志』所引『天橋記』)。

近世以前の沿革は不明であるが、江戸時代には4石3斗4合の社領を有し(天和元年(1681年)の『宮津領村高帳』)、明暦2年(1656年)に宮津藩主京極高国が社殿を造営し(社蔵棟札)、元禄14年(1701年)に同奥平昌成も修造してから歴代宮津藩主もこれに倣ったといい、また60年に1度の式年遷宮も行われていた。

参拝時間

参拝:参拝時間は自由です。

ホームページ

なし

アクセス

【電車】京都丹後鉄道宮福線「大江山口内宮駅」下車 徒歩10分くらい
【車】京都縦貫自動車道「舞鶴大江IC」から車で約20分
※有料ですが、駐車場もあります。
【バス】福知山市バス 大江線「内宮駅前」下車 徒歩約10分

地図

〒620-0323 京都府福知山市大江町内宮217

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